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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)1123号 判決

原告

五十嵐俊之

ほか二名

被告

国際自動車株式会社

主文

被告は原告五十嵐俊之に対し金三、〇二九、八七三円、原告五十嵐亀雄に対し金二四四、四八五円、原告五十嵐はるに対し金一八〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四三年二月一五日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告らの被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の、各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、被告は原告五十嵐俊之(以下俊之という)に対し六、七〇三、二九〇円、原告五十嵐亀雄(以下亀雄という)に対し九〇七、四七五円、原告五十嵐はる(以下はるという)に対し、八〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四三年二月一五日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第三、請求の原因

一、(事故の発生)

原告俊之は、次の交通事故によつて傷害を受けた。

(一)  発生時 昭和四〇年二月七日午後〇時三五分頃

(二)  発生地 東京都中央区日本橋本町四丁目一四番地交差点

(三)  加害車 タクシー(練五あ六六六四号以下被告車という)

運転者 訴外飯塚男

(四)  被害車 第二種原動機付自転車(渋谷た八一六号以下原告車という)

運転者 原告

被害者 原告

(五)  態様 原告は原告車を運転し都電本町三丁目電停より都電小伝馬町方面に向つて都電通りを進行中右交差点において右手道路より進行して来た被告車が自車前部を原告車右側面に衝突せしめた。

(六)  被害者原告俊之の傷害の部位程度は、次のとおりである。

頭部外傷、第二型頭蓋底骨折、右鎖骨複雑骨折、顔面挫傷、右腰部右膝部挫傷

(七)  また、その後遺症は次のとおりである。

歩行、言語、上肢の運動障害特に小脳失調型の協同運動障害著明、思考能力喪失、幼稚な単純な精神活動しかできなくなり、運動障害のため歩行するにもふらふらしながら進行するので、歩行中にも突然転倒するような有様で一人外出は全く不可能となり、外出には常に保護者が必要となつた。

二、(責任原因)

被告は、次の理由により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

被告は、被告車を所有し自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任。

三、(損害)

(一)  治療費等

(1) 温泉療養費並びにマッサージ代

(イ) 原告亀雄は原告俊之の父として昭和四一年八月二六日より同年九月四日までの二八、〇七五円と昭和四二年八月一日より同月三一日までの六九、〇〇〇円いずれも原告俊之の草津温泉大蔵における宿泊療養費合計九七、〇七五円を支払つた(一部附添人の分が含まれるが、後記のとおり保護を要する状況であつたので除外しない)

(ロ) 原告亀雄が支払つた昭和四二年八月初頃から同月末まで藤ノ木治療院において原告俊之が受けたマッサージ治療代一〇、四〇〇円

(二)  逸失利益

原告は、前記後遺症により、次のとおり、将来得べかりし利益を喪失した。その額は五、二〇三、二九〇円と算定される。

(事故時)一八歳

(推定余命)五〇・二七年(第一〇回平均余命表による)

(稼働可能年数)大学を卒業して六五歳まで

(労働能力喪失低下の存すべき期間)右に同じ

(収益)事故当時明治学院高等部を卒業し、明治学院附属大学入試に合格していた。新制大学卒業者の初任給は二六、二〇〇円であつたので、右期間中少くともこの程度以上の収益があつたというべきである。

(労働能力喪失率)七〇%

(右喪失率による毎月の損失額)一八、三四〇円

(年五分の中間利息控除)ホフマン複式(年別)計算による。

五、二〇三、二九〇円となる。

(三) 慰藉料

(1)  原告俊之の本件傷害による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情に鑑み一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(2)  原告亀雄、同はるは両親として、一人息子の原告俊之の受傷にともない精神的苦痛を受けた。その慰藉料は各八〇〇、〇〇〇円が相当である。

四、(結論)

よつて、被告に対し、原告俊之は六、七〇三、二九〇円原告亀雄は九〇七、四七五円、原告はるは八〇〇、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年二月一五日以後支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四、被告の事実主張

一、(請求原因に対する認否)

第一項中(一)ないし(四)は認める。(五)のうち原告車と被告車の衝突した事実は認めるがその余は不知。(六)は知らない。(七)は否認する。

第二項のうち被告が被告車を自己のため運行の用に供していたことは認めその余は否認。

第三項のうち原告俊之の年令、原告らの身分関係は認めるがその余は否認。

二、(事故の態様に関する主張)

(一)  訴外飯塚は、本件事故発生当時、本件交叉点手前に一時停止の標識を認めたので、被告車を、一旦、交差点入口の地点に停止したうえ、左右の安全を確認し、左右に自動車その他がなく、そのまま本件交叉点を通過するのに何らの障害もなかつたので、再び発進し、本件交叉点に進入したのである。ところが、被告車が本件交叉点中心を通過しかけた際、被告車の左方より原告車が浅草橋方面に向つて進行し来り、このような場合には、原告車は当然一時停止等の措置を講ずべきであるにかかわらず、無暴にも、法定の制限速度たる三〇キロメートルをはるかに超える高速にて被告車の前方をすり抜けようとしたため、本件事故の発生をみるにいたつたのである。

(二)  以上によつて明らかなとおり、訴外飯塚は、本件交叉点を通過するに際して、一旦停止をして左右の安全を確認する等、自動車運転者に要求されるすべての注意義務を尽したのであるが、なお、本件事故の発生をみるにいたつたのであり、その原因は、すべて被告車の交叉点における優先権を無視し、制限速度をはるかに超える速度にて被告車前面を通り抜けんとした原告俊之の無謀運転にあり、右原告俊之の行為はいわゆる信頼の原則に反するものといわねばならぬ。

(三)  なお、被告車は、所定の定期点検を受け完全に整備されていたのみならず、毎日、出庫に当り、詳細な点検を受けていたのであり、本件事故当日も、出庫前の点検整備をすませていたのであつて、その構造には、何らの欠陥もなかつた。

三、抗弁

(一)  以上の次第であつて、訴外飯塚には何らの過失はなく被告は自賠法第三条但書により免責される。

(二)  仮りに、右訴外人に過失ありとしても、本件事故の発生につき、原告俊之の過失の寄与するところ極めて大であり、損害賠償額の算定に当り、右の点が十分しんしやくさるべきものと考える。

なお被告は本件事故に関し次のとおり治療費等合計八四〇、三一六円を支払つているので、これを総損害額に合算のうえ過失相殺し、その上これを控除さるべきである。

(イ) 日本橋外科 五五四、三四〇円

(ロ) 広尾病院 四五、九六九円

(ハ) 慈恵医大病院 一一〇、一八三円

(ニ) 石橋病院 一〇、四〇〇円

(ホ) 晴和病院 一、二六八円

(ヘ) 看護料 一〇九、九九五円

(ト) 寝具料 六、〇四〇円

(チ) 氷代 二、一二〇円

第五、抗弁事実に対する原告の認否

(二)のうち被告が八四〇、三一六円支払つたことは認める。

第六、証拠関係〔略〕

理由

一、請求原因第一項(一)ないし(四)、(五)のうち被告車が原告車に衝突したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば原告俊之は本件事故により頭部外傷第Ⅱ型頭蓋底骨折、右鎖骨複雑骨折、顔面挫傷、右腰部右膝部挫創の傷害を負つたことが認められる。

二、請求原因第二項のうち被告が被告車を自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

三、〔証拠略〕によれば次の事実が認められる。

(イ)  本件交差点は都電本町三丁目電停より都電小伝馬町方面に向う車道幅員一八米、両側に四・五米の歩道のある道路(以下A道路という)と幅員一一米の車歩道のない道路(以下B道路という)の直角に交差する地点で、信号機の設置はなく、B道路は南より北へ一方通行となつており、南より交差点に入る地点に一時停止の標識が立つている。A道路中央に都電の軌道が通つている。なお速度制限は時速四〇粁となつている。交差点の見通しはよくない。

(ロ)  訴外飯塚は被告車を運転しB道路を北方に向つて進行し本件交差点入口において一時停止の標識に従つて停止したが、右方から来る車はなく、左方から来る車もなかつたように思われたので交差点に入り時速約二〇粁で交差点中央を過ぎた地点まで来たとき、左方より進行して来た原告車を約六・八米の地点に発見し、ブレーキを踏んだが及ばず交差点中央を過ぎた地点で原告車に衝突した。

(ハ)  原告俊之は原告車を運転しA道路の左側、歩道より約一・二米の所を時速約四〇~五〇粁で進行中、本件交差点の手前で、右側のB道路から出て来る被告車を発見したが、被告車が止つてくれると思つてそのまゝの速度で進行したところ被告車と衝突した。

右認定事実によれば訴外飯塚には一時停止の標識のある交通整理の行われていない交差点に、狭い道路より入るに際し、一時停止したが左方に対する確認をせず交差点に入り進行した過失が認められる。従つて被告の免責の抗弁は採用の限りではない。一方原告俊之には見通しのよくない交差点に入るに際し徐行することなく、時速四〇~五〇粁で進行した過失が認められる。そして、右認定事実によれば、特に、被告車が交差点にやゝ早く先入していたこと、原告車の速度が制限速度をやゝ超過していた点を考慮して過失割合は原告俊之四〇%、訴外飯塚六〇%と見るのが相当である。

四、(一) 〔証拠略〕によれば、原告俊之は一に認定した傷害により昭和四〇年二月七日(事故当日)より約半年間日本橋外科に入院し、昭和四二年三月一日より同年四月二八日まで慈恵会大学附属病院に入院しその後も同年一〇月頃まで同病院に約一四回にわたり通院し、通院途中において駅の階段から転落したため一ケ月位広尾病院に入院し、現在マッサージ治療を続けていること昭和四三年一二月頃東京労災病院において鑑定のため診察をうけ頭部外傷の後遺症として、不関性顔貌、言語は舌たらずで単調で構音はつきりせず、軽い四肢麻痺、四肢腱反射亢進等検査結に基づき労働能力低下の程度は労災保険法施行規則別表身体障害等級表第七級と鑑定されたこと原告俊之は現在も歩行が困難で歩くとふらつき、父の雑貨商の手伝をしていることが認められる。

(二) 被告の支払治療費等として八四〇、三一六円あることは当事者間に争いがない。

(三) 〔証拠略〕によれば、原告亀雄は原告俊之の草津温泉における温泉療養費として九七、〇七五円を支払つたこと、マッサージ治療代として一〇、四〇〇円支払つたことが認められ、以上の合計は一〇七、四七五円となり、いずれも本件事故と相当因果関係が認められる。

(四) 〔証拠略〕によれば、原告俊之は本件事故当時明治学院高校三年在学中であり、明治学院大学社会学科を受験し合格していたこと、普通の健康体であつたことが認められる。従つて、本件事故がなければ昭和四四年三月に二二歳で右大学を卒業し得たものと推認し得、その後六三歳まで就労可能であつたものとみるべきであり、大学卒業者の初任給が当時原告主張とおり二六、二〇〇円程度であつたことは裁判所に顕著であり、原告俊之は(一)の後遺症により今後六三歳の就労可能の全期間を通じ七級の労働能力喪失率である五六%の労働能力の低下があるものと推認できる。以上により原告俊之の逸失利益をホフマン式年別複式により計算すれば三四六万円(一万円未満切捨)となる。

26,200×12×56/100×(23.2307-3.5644)≒3,462,527

(五) 原告俊之の損害は右(二)(四)の合計四、三〇〇、三一六円となるところ、前認定の同原告の過失を斟酌すれば二、五八〇、一八九円となり、これら既に支払を受けた八四〇、三一六円を控除すれば残額は一、七三九、八七三円となる。原告亀雄の(三)の損害について原告俊之の過失を斟酌すれば六四、四八五円となる。

(六) 前認定の原告俊之の傷害の程度、入院通院の期間、後遺症の程度および原告の過失の程度に照らし同原告の受くべき慰藉料は一二九万円をもつて相当と認める(算定の主な理由は、入院八カ月につき八〇万円、通院(慈恵会大)期間につき一〇万円、後遺症につき一二五万円、合計二一五万円となるところ原告俊之の過失を考慮し一二九万円となる。)

(七) 原告亀雄、同はるは原告俊之の父母であること当事者間に争いがなく、右傷害の程度から死亡に比して劣らない程度のものと認められるので父母として固有の慰藉料を請求し得るものというべくその額は各一八万円をもつて相当と認める(傷害の程度によれば各三〇万円を相当とするが原告俊之の過失を考慮し上記の額とした)。

五、よつて原告俊之の本訴請求のうち三、〇二九、八七三円、原告亀雄の本訴請求のうち二四四、四八五円、原告はるの本訴請求のうち一八〇、〇〇〇円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四三年一一月一五日以降支払済にいたるまで年五分の割合による金員の支払を求める部分を正当として認容し、その余はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井真治)

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